アフリカとの出会い53 ヒッチハイク万歳 アフリカンコネクション 竹田悦子 |
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日本でしたことがなくて、アフリカでよくした一つに「ヒッチハイク」がある。道路の側道に立って、手を上げて車が停まってくれるのを待って、運が良くて乗せてもらえることがあれば、車に乗せてもらって目的地まで連れて行ってもらうというものだ。 アフリカでヒッチハイクだなんて、危険そうだ。私もそう思っていた。今思い出してみると意外に、ヒッチハイクを通じて出来た友人も多いことに気が付く。私は、1年くらいムロロンゴという町から首都ナイロビまで車で毎日30~40分かけて通勤していた。 移動手段は、「マタツ」と呼ばれる乗り合いバスだ。ただ、この「マタツ」の停留所には日本のように停留所名や時刻表が書かれてあるわけではない。「マタツ」が停まるのは、住宅地の近く、ある会社の前、お店の前、病院の前など、人が多く乗り降りするところで、なんとなく自然発生的に停留所になった場所だ。 乗客は、降りたいところ近くになると、「マカンガ」と呼ばれる車掌さんに手や目で合図をするか、“shukisha”(降ります)と言う。人がよく乗り降りする辺りに自分が行こうとしている目的地があるか、マタツのルート上に目的地がある限り、合図さえすれば停まってくれるので、事は至極簡単だ。しかし、自分しか行かないようなところに行くときは要注意だ。車のない人は、アフリカではまだまだ多い。 ナイロビをはじめ大都市を隈なく走るバスやタクシーやマタツも、乗客がいない場所には全く姿を見せない。そこで、人々は「ヒッチハイク」をする。徒歩で行ける距離なら何とかなるが、そうでない場合は多くの人が日常的にヒッチハイクをしている。車が手配できなければヒッチハイクに頼るしかないのだ。その方法は簡単だ。“shimama”(停まって!)と叫びながら、車に向かって手を振ればいい。 しかし、ヒッチハイクをする時は、当然ながら、以下の点に気を付けて私なりに車と人を選ぶようにしている。 1)あまりにも汚い車は避ける (理由:途中で故障するかもしれない) 2)女性のドライバーのほうがベター (理由:女性は女性に優しい場合が多い) 3)できれば子供も乗っているほうがいい (理由:ほとんどの割合で安全) 4)1人で運転している若い男の人は避ける (理由:気があるのではないかと勘違いされないため) 5)他に荷物を載せている。例えば、家具や動物(ヤギ、鶏、 うさぎが多い) (理由:同乗者やモノ歓迎と言うサイン) 6)第一印象と勘 (理由:どのくらいいい人かどうかは分からないが、悪 い人はなんとなく分かる) 7)交渉のやりとりの様子 (理由:例えば法外なお金を要求してくる人は避ける) そして、条件を満たす車と人間を素早く判断し、スワヒリ語を使って、旅行者ではないことを匂わせる。結果、運よく条件にかなう車が見つかると乗せて貰う。運転手のほうも、チップで少しでもお金になるので、大抵はいやな顔はされない。 ケニアの運転手は、席を空けておくより、人を乗せてチップを貰う方が嬉しい人が多いように思う。 私が住んでいたムロロンゴというところも、環状線の側道を外れると移動手段がなく、歩くか、人の車に乗せてもらうしかなかった。知り合いになると、車に乗せてもらったついでにその人の家まで上がらせてもらって、お茶をご馳走になってから目的地まで連れて行ってもらうこともあった。買い物に行くとき、友人を訪ねるとき、旅行に行くとき、日常的に「人の車に乗せて貰う」という手段がケニアにはあるのだ。 一度、10トンタイプのダンプカーの荷台にのせてもらったことがあった。遠方に住むマサイ族の家に招待され出かけたときだ。招待者が言う、マサイ族の村の最寄りの、マタツの停車場で降りて、描いて貰った地図を頼りに歩き出したのだが、周りは人家も人影もなく、サバンナがどこまでも続いている。1時間ほど歩いた頃、ダンプカーが通り過ぎた。手を上げると、10メートルくらい進んだ所で停まってくれた。近づいてみると、ダンプの荷台に10人ほどの人がすでに乗っていた。 乗せて貰えたのはいいが、でこぼこの道を走るダンプの荷台の揺れはすごかった。それぞれが自分の降りたい場所に近づくと、荷台を棒のようなものでドンドン叩いて、運転手に知らせていた。30分くらいで、ダンプが目的地の石切り場に着き、私たちはそこで降ろされた。再び、サバンナの道なき道を歩く。30分くらい歩いて、やっとマサイ族の集落が見えてきた。2時間もかかって私は友人の家に着いた。帰りは友人の車で送ってもらったが、たったの45分で、来るときにマタツを降りた停留所に着いた。 自分が車に乗っているときは逆に「ヒッチハイク」される立場になることもあった。運転手と一緒にトラックで西ケニアへ資材を運ぶ仕事を手伝った時でナイロビから西ケニアへ行った。往きは、4トントラックの荷台に材木や建築資材が満載だったので、すべてのヒッチハイカーを断りながら走った。が、ナイロビへ戻る時は、荷台は空になっていたので、いろんな人とモノを乗せて帰った。トラックの荷台は、鶏、野菜(にんじん、じゃがいも、玉ねぎ)、紅茶の袋など、農家の人たちがナイロビの市場で売りたいもので埋め尽くされた。地方の農家や、トラックを自分で借りて運ぶほど収穫がない農家は、品物を運転手に預け、若干の運送料を払い市場に届けて貰ったりもしている。 その時の運転手はかなり儲かったようで、私は焼肉屋さんでご馳走になり、運転手も上機嫌な様子だった。「トラックの運転は、人の役にも立つし、お金も儲かる。将来は、自分のトラックを買って運送の仕事をするのが目標」だと運転手は言っていた。 ケニアのヒッチハイクでは多少の謝礼を払うものの、根元は「助け合い文化」だと思う。ケニアに電車が走る日が来るのだろうか?来ないのだろうか?しかし、電車が走るようになったら、「ヒッチハイク」することもなくなってしまうのかと思うと、とても残念な感じがするのは、私が電車大国日本から訪れていたからだったからか? 勿論、外国人はそれなりの注意が必要なことは言うまでもないが、「ヒッチハイク」も気を付けて上手に利用すれば、楽しい移動手段でもある。 アフリカとの出会い目次へ トップへ |